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いつもと違う旅をしませんか? そう、フランスで運河の旅をしませんか。レンタルボートは免許不要です!! 船長さんはあなた!
設備完備のレンタルボートは水上の動くコンドミニアム! 朝市で買った食材で料理をしたり、ミシュラン星のレストランで食事をしたり、ワイン、チーズ、郷土料理を楽しみながら、曳舟道を自転車で走り、町の骨董屋で掘り出し物を探す。土手に舫い、ロックを越えて。 フランス人は勿論ドイツ人もオランダ人もカナダ人もオーストラリア人も皆楽しんでいます。スロージャーニー、ハッピーライフ!
南仏カマルグ2週間クルーズ (2018年5月~6月2週間)
5月19日〔土〕曇り、にわか雨
今回一緒に船に乗り、南仏カマルグクルーズを楽しんだメンバーは、Y氏とK子夫人、J氏とY子夫人、そしてSと私Jの3組の夫婦6人です。
南仏モンペリエの飛行場で集合し、タクシーでアグドへ。地中海の港町アグドでスキッパー付きのハウスボート(Tarpon49 Quattro Prestige)を借りました。
アグドに到着すると驚いたことに、そこで待っていてくれたのはあの陽気なフランス人スキッパームッシュF (M.F)です。地中海クルーズ以来3年ぶりの再会です。
午後4時、乗船するとすぐに出港。部屋で荷物の整理をしていると最初のロックに差し掛かります。私たち夫婦は前にもクルーズの経験がありますが、他の4人は今回が初体験。スキッパーのM.Fの指導の下、ロープをかけるなどのロック作業を無難にこなしてホッと一息つきます。
夕方6時半、外はまだまだ明るいのですが、ロックが閉まる時間なので、本日はここヴィルヌーブ・ド・ベジエで停泊します。
ちょうど船を停泊しているとにわか雨が降り始めたので少々雨宿り、すぐやみました。
スーパーで食材などの買い物をする予定が、土曜の夜とあってすでに店は閉まっていました。[レザンファン・テリーブル]という名のレストランで最初の食事。とっても美味でした。
5月20日〔日〕曇り、にわか雨
世界遺産のミディ運河のプラタナス並木の下をのんびりクルーズしてベジエに到着。
ベジエ城を眺めながらエロー川に架かる運河橋を渡るといよいよミディ運河のハイライト、7個のロックが階段状に連なるフォンセランの7段ロックに入ります。周りで見ている観光客の声援にこたえながら一段ずつロックの階段を上ってゆきました。クルー全員の息も合い問題なく1時間ほどで通過できました。
運河クルーズをしていると時間がゆっくり流れます。船もゆっくり進みます。平均時速6km、自転車が脇を追い越してゆきます
マルパストンネルが出てきました。フランスで一番古い運河トンネルです。トンネルを潜り抜けると上方に古代ローマのアンセリュヌ遺跡が見えてきます。船を停めて上ってみることにします。小一時間ののぼり。頂上からは南仏の陽光の下どこまでも広がるブドウ畑とその向こうに輝く地中海が見え何とも素晴らしい眺めでした。大変ユニークな灌漑水路を使用したモンタディの円形畑が足下に見えました。
またクルーズ中に水に浮いている筏に乗ったフローティングピアノとその演奏者を見かけました。演奏中でなかったのがちょっと残念!でもきっと常設ではなくコマーシャル撮影か何かなのでしょうね。フランス人は変わったことしますね。
カプスタンで停泊。小さなかわいい村です。たそがれ時、といってももう10時近くなのですが、東の空は刻々と色を変え、村の中心の教会前広場は日曜日の夜とあって賑わっていました。
5月21日〔月〕晴れ
ミディ運河からちょっとそれてロビン運河に続くジョンクション(接続)運河に入ります。
このジョンクション運河はロックキーパーの居ないオートマティックロックなので、船に乗っているクルーが自分たちで岸に設置されたボタンを押して、ロック扉の開閉やロック内の水の出し入れを行います。自転車を下ろし、何人かのクルーが自転車で先回りしながらロック操作ボタンを押してゆきます。こうすることで船がロックに着くとすでに扉が開いており、待たずに進入できます。
ここでトラブルNo.1の発生!緊急事態です。
ジョンクション運河の最後で自転車を船に戻してクルーも乗り込むはずだったのですが、ミスして自転車に乗っていた5人が船に乗り損ねてしまいました。そのまま走っていくと川にぶつかり渡れなくなってしまいます。船に残っていた私とM.Fはどうしようかと青くなっていました。一方自転車組も早い流れにぶつかって青くなっていたそうです。通りがかったフランス人に川を渡る方法を聞くと、なんと鉄橋を渡れ、みんなが渡っているから大丈夫だと教えられたそうです。廃線になった鉄道の鉄橋だったのですが、そのときは廃線とは知らず、おっかなびっくり渡ったそうです。一方船に残った私たちは、岸を通りがかったフランス人や鉄橋の上にいるフランス人に迷子の5人の日本人を見かけなかったかと大声で尋ねながら少しずつ後戻りしていったところ、ちょうどタイミングよく、鉄橋の上から『<すぐそこに日本人がいるよ』、と教えてくれたフランス人夫婦が居て、迷子の5人とうまく出会え、全員船に戻ることができて、本当に一安心でした。このフランス人夫婦はたまたま自転車組が鉄橋への登り口を尋ねた相手でした。あとでロックキパーに訊くとそこは運河と川の交差点でこの廃線の鉄橋以外数キロ近辺には渡河する方法がないそうでした。水辺ガイドでしっかり確認してなかったのです。思いもしないことが起きるものです。
ロビン運河を進み、橋の上に家が建っている珍しい橋をくぐればナルボンヌです。
ナルボンヌの町の中心には大きなカテドラル、そしてカテドラルの前には、近年発掘されたローマ街道の石畳が残っています。[全ての道はローマに続く]と謳われたかのローマ街道です。市内観光の後は港のレストランで夕食。大変賑わっています。
5月22日〔火〕晴れ
朝、早起きしてまずランドリーに行き、仕上がる間に横の市場に行きました。果物、野菜、チーズ、パテ、ソーセージなど美味しそうな食材が並んでいます。たくさん買って本日のランチは船中で豪華なランチ!です
さ、出港・・・と思ったら・・・
トラブルNo.2発覚! なんとなんと、本日は先月より続いているフランス国鉄職員のストライキに賛同したロックキーパー(フランスの国家公務員です)がストのため、すべてのロックは閉鎖され、ここから一歩も動けないのだとか!!!
ストは今朝決まったそうです。町ではデモ行進も行われていました。
思いもしないことが起きるものです。
仕方ないので今日は一日ナルボンヌをのんびり観光しながら過ごしましょう
シャンソンで有名なラ・メールを歌ったシャルル・トレネはこの町の生まれ。町の壁には、彼の大きな絵が描かれていました。
このあたりでJ氏とY子夫妻が<今までお父さん、お母さんとお互い呼びあっていたけれど、子供も巣立ってこれからは2人の時間。呼び方を変えなくてはいけないわね・・>ということで、みんなで新しい呼び名を考えました。J氏はジミー、Y子はキキがいいのでは、ということになりお互いジミー、キキと呼んでみました。結構しっくりくるらしく、特にジミーはその名が気に入ったそうで、以降ジミーと呼ばれるたびにうれしそうに返事していました。閑話休題
5月23日〔水〕晴れ
今朝はストも終わり、何事もなかったかのようにロックが開きました。来た道を戻ってまたミディ運河を目指します。
途中で出会った船のクルーが嘆いていました。昨日朝早くにナルボンヌを出港したときはまだロックが開いて、途中10時にスト決行が決まり、そこから先に進めず後戻りもできなくなったのだとか。船には十分な水と食料を積んでいなかったにもかかわらず、町から遠く離れたところで立ち往生してしまって、買い物もできずやることもなく、食糧不足の悲惨な一日を送ったのだとか。町に停泊してのんびりナルボンヌ観光していた私たちはとてもラッキーだったようです。
船には立派なキッチンがついているので、ナルボンヌの市場で仕入れた食材を使ってランチの用意をします。ホワイトアスパラ他、どれもとっても美味でした。
ミディ運河との合流地点で船を停め、下を流れる川に下りてゆくと川で水浴びしている家族が居ました。私も足をつけてみると冷たく気持ちが良かったです。
その近くのル・ソマイユ村は本当にかわいい小さな村ですが、ここには蔵書数5万冊以上を誇るフランス一の古書店があります。素敵なカードなどのお土産も見つかりました。
5月24日〔木〕晴れ
再びフォンセランの7段ロックを下り、運河橋を渡ってベジエの港に停まります。
ベジエはミディ運河の創設者ポール・リケの生まれ故郷です。そして紀元前から続くこの町は発掘調査の結果フランスで一番古い町と認定されています。また1209年の十字軍によって町中の全住民が虐殺、皆殺しにされたという悲しい歴史の町です。
町はお化粧直し工事の最中で、リケの銅像の建っている公園も中に入れなくなっていました。市場で買い物をした後、市場内のレストランでランチ、アスパラの前菜と串焼肉のランチがとても美味しかったです。
夕方ベジエを出てアグドへ向かいます
ナルボンヌで一日足止めだったので少々急ぎます。
5月25日〔金〕晴れ
アグドを出港するとすぐ、運河の最初の掘削時から同じ姿のまま残るミディ運河唯一の巨大円形ロックに入ります。
ロックを超えるとトー湖に続く運河、そしてトー湖の最初の港町マルセイヤンで停まります
マルセイヤンは観光客に人気の小さな美しい村です。トー湖は牡蠣とムール貝の養殖池として有名です。日本の仙台の牡蠣と兄弟になる牡蠣を養殖しています。というのもフランスの牡蠣が病気で全滅した折には仙台の牡蠣の稚貝がトー湖に送られ、そして先年の東北大震災の折に、今度はトー湖から仙台に牡蠣がお里帰りしたというご縁があるのです。
村から岸沿いに700mほど歩き、オイスターバーに行きました。
生牡蠣、生ムール貝、牡蠣とムールのグラタン、そして薪窯で盛大に焼いたムール貝、とメニューはたったこれだけ。でも安くてどれも美味しいのです。各人生牡蠣12個、または牡蠣とムールのグラタンを頼み、その後、薪窯で焼いたムール2kgをシェアしていただき、大満足!こんなに食べても一人当たり15ユーロ、たったの2千円足らずです。
美味しいものをたくさんいただいて幸せいっぱいでかわいい村を散策しました。残念ながらちょうどお昼休みでお店の大部分はしまっていたのでウインドーショッピングになりましたが。
船に戻り、再び出航、トー湖をさらに進みます
セートでトー湖を離れローヌ・セート運河に入ります。
運河に入ったところで野生のピンクフラミンゴが何羽か羽を休めているのを見かけました。かわいい!
5月26日〔土〕晴れ
カマルグ湿原の中、池の真ん中をどこまでもまっすぐ走るセート・ローヌ運河を行きます。
本日はエーグ・モルトで停泊。
ここエーグ・モルトは城壁に囲まれた中世がそのままに残る町。観光客にも大人気の町です。城壁の上をぐるり一回り、眼下に町を眺めながら散歩できます。城壁の下にはカフェやレストランが軒を並べ、みんな楽しそうに食事を楽しんでいます。
そしてここは日本でも知られているカマルグの塩の産地。
カマルグの塩は、普通の塩のほかにも、大粒の結晶になった塩、ハーブ入りの塩、パプリカで色付けしたオレンジ色の塩などいろいろ種類が豊富で見た目も美しくきれいです。町の中心広場は夜になっても賑わいが去りません。
5月27日〔日〕晴れ
エーグ・モルトに船を停泊したまま、タクシーでカマルグの中心サント・マリー・ド・ラ・メールにきました。ここで2日間ホテルに泊まります
この町の名前の由来として、その昔黒人侍女サラをお供にキリストゆかりの3人のマリアが海からここにやってきた、という言い伝えが残っています。
町の教会は伝道のため旅立ったマグダラのマリアを除く2人のマリア(聖母マリアの妹マリア・ヤコべと12使徒ヤコブとヨハネの母マリア・サロメ)を祭ると同時に、サラをブラックマリアとして崇めています。5月にこのサラを祭るジプシーの一大イベントがこの町で執り行われ、それはそれは賑やかにヨーロッパ中からロマ族の人々がこの町を目指して集まってくるのだそうです。私たちがこの町にきたのはちょうどこの祭りが終わった翌日でした。でも日曜日とあって、町で闘牛が行われていました。スペインの闘牛と違い、ここの闘牛は12人の男性と牡牛が追いかけっこをしつつ、牡牛の頭の毛を手に入れるとポイントがつく、という血を見ることのない平和な闘牛イベントです。
闘牛の前後にはアルルの民族衣装姿の女性のフォークダンスが披露され、またカマルグ特産の白馬のライディングショーもあり、とても楽しいイベントでした。
5月28日〔月〕晴れ
サント・マリーでは、町からちょっと離れたオーベルジュに泊まりました。
オーベルジュの近く、町からは3kmほどのところに自然保護区の野鳥公園があります。ここ本当にスゴイんです。手を伸ばせば届きそうなところに総数1万羽以上の野生のフラミンゴが群れていて、そのほかサギなどの多種の野鳥が羽を休めています。
ふと空を見上げればフラミンゴやサギが飛んでいて・・・自然の中にアフリカからはるばる飛んできたフラミンゴが一万羽以上もえさをついばんでいる姿が見られる・・・そんな光景にはちょっと感動します。
午後から乗馬をしました。カマルグの白い馬に乗り、アスパラの畑やモネの絵のようなひなげしの野原を2時間ほど散歩しました。
5月29日〔火〕晴れ
朝タクシーでエーグモルトに戻り、再び出港。セートとエーグモルトの中間あたりのリゾートタウンのカルノンに停泊。
立ち並ぶリゾートマンションの向こう側には地中海から来るヨットがたくさん停泊しているマリーナが広がり、豪華ヨットが並び、マリーナ前の海岸線にはシーフードレストランが並んでいます。
マリーナの先はもう地中海、広いビーチが広がっています。
5月30日〔水〕晴れ
セート・ローヌ運河はだだっ広く浅い池の真ん中をまっすぐに貫いて掘られています。
途中マグロンヌ島によりました。小さな島の丘の上に立つカテドラルはフランスでもっとも古く5世紀に建てられたカテドラルです。もちろん途中で崩れては修復されていますが、昔のままの石を建材にして使い再建されています。そしてカテドラルは今も現役で使われているようです。
今日はフロンティニャック上下可動橋を通り抜けた地点で停泊します。
今日は我らがスキッパーM.Fの誕生日です。船のデッキのバーベキューテーブルでシャンパンの栓を抜き、盛大にバースデーバーベキューパーティーをしました。
5月31日〔木〕晴れ
セート・ローヌ運河の終点からセートへ入る箇所は、SNCFの鉄橋と通行量の多い国道の2本の橋でさえぎられています。一日2回のみ、TGV他の列車と国道を走る自動車を停め、橋が持ち上がって開きます。船は予め橋の手前の小さな漁港で待機していて、橋が上がると急いで通り抜けるのですが、タイミングを逃すとまた半日待つ羽目に陥ります。2本の大橋が上がっていく様はとてもダイナミックです。
セートは片側をトー湖に、もう一方を地中海に面する美しい港町です
詩人ポール・ヴァレリーの生まれ故郷で、詩人の名前を冠した美術館が地中海を臨む丘の上にあります。また、世界中の人々に愛されているシャンソン歌手ジョルジュ・ブラッサンスもここの生まれで、彼のミュージアムに行くと入り口でヘッドホーンを渡され、中をめぐる間中ブラッサンスの歌声が耳元で流れ続けます。
6月1日〔金〕晴れ
この朝はセートでちょうど朝市が開かれていて、美味しそうなものをたくさん売っていました。
セートを出航し、再びトー湖を横切って最終目的地アグド(最初の出港地)に向かいます。
本日快晴。トー湖は波も穏やかで快適クルーズです。風も爽やかで本当に気持ちいい!
ミディ運河に戻ると久しぶりにロックが出てきます。というのもカマルグ(ローヌ・セート運河)は平らなのでまったくロックのない運河なのです。
あら、ロックの岸壁に遠足の子供たちが鈴なりに・・・大勢の子供ギャラリーの声援を受けてロック作業にも力が入ります
アグドの手前でちょっと寄り道。エロー川に船を乗り入れます。リバークルーズには、運河とはまたちょっと違う趣があります。
無事アグドに到着。ここでクルーズ終了です
アグドは2600年の歴史を誇る古い町です。2600年前の火山の噴火時の溶岩を用いて建てられた建物の壁面は黒く、この町が<地中海の黒真珠>と呼ばれる所以です。
最終日の夜はM.Fもご招待してみんなでエロー川沿いの船上レストランに行きます。ピアノのライブ演奏もやっている素敵なお店で美味しいフェアウエルディナーでした。食事後に夜の街を散策すると、古い町並みが実に幻想的でした。
6月2日〔土〕晴れ
2週間にわたるクルーズは無事終了し、今朝アグドにて船を返却してグループは解散しました。
今回はアグドのベースでレンタルボートを借りました。
キャビンが4つ。各キャビンにトイレとシャワーがついていて、真ん中には操縦席のほかに、キッチンとサロン。キッチンには冷蔵庫やオーブン、食洗機まで完備していて、サロンのダイニングテーブルは8人がゆったり座れます。デッキには操縦席と、ビールやワイン用の小さな冷蔵庫とバーベキューテーブルがあり、船の前方にはデッキチェアーが置かれていて、のんびり日光浴を楽しみながらのクルーズです。船には自転車を積んでゆき、時には自転車を下ろして曳船道(運河に沿っていて、現在は散歩道またはサイクリングロードとして整備されています)をサイクリングしたりジョギングしたりもできます。自転車はゆっくり走る船を追い越してゆきます。
ミディ運河とカマルグの運河の沿岸には、長い歴史を持つ個性豊かな小さな美しい村や町がたくさんありました。普通の旅行ではあまり立ち寄る機会のないそんな小さく美しい村にも、クルーズ中にたくさん出会いました。
船は時速6~8kmでとってもゆっくり進みます。運河の上では時間もゆったりと流れます。
2週間、とても不思議な世界に漂っていたような気がします。
旅のヒント:今回は出発前からハプニング。出発2か月ほど前になってフランス国鉄(SNCF)がストライキを発表。しかもマクロン大統領の強い意志に対抗してか4月から6月の完全3ヵ月間の長期。3日運行し2日極少数の電車が稼働する5日周期のストを続けるようですが稼働する日も正常運行とはならない等やはり心配になり出発ベースへの往路とクルーズ後の復路を飛行機便と長距離バスに変更しました。往路はパリーアグドをパリ―モンペリエの飛行機とタクシーに変えましたがアグドーマルセイユの復路をどうするか悩みました。レンタカーか路線バスを乗り継ぐか。若干希望が持てたのは行き先がマルセイユ。
長距離バスがあるかも。早速調べるとありました。出発地はモンペリエですがマルセイユまで直行3時間ほど(電車では2時間半)。しかも料金は電車の3~4分の1。そして驚くことにこれはSNCFが運行しているのです。エアコンのきいたデラックスバスでウトウトしている間にマルセイユ駅に到着です。長距離バス(SNCF以外もあります)を今回初めて利用しましたが高速道路の発達しているフランスまたはヨーロッパ大陸内の移動にはちょっとばかりありかなと思いました。
特に大都市間の移動にはいいかもです。